思いついたことを140文字以内で書く自信がないときに、これまではevernoteに書いていたんだが
やはり忘れる。
人の目に触れたほうが忘れないかもしれないと思って書き始めてみる。
来年のLIFE VIDEOの目標を「地道と無謀の両立」とした。

「無謀」は昔からやっていたと見られていたからそれはいいんだけれど、「地道」も実は昔からやっていて
それに関してはあまり知られていないけど、やっぱりそうだなと最近特に思う。
と言うか「無謀」が成立するとしたら、それは間違いなくその裏に「地道」があったからだ、ということだろう。
電波少年という番組があったが、これはまあ「無謀」な番組だったと言われている。
ところがこの裏には偏執的な細部へのこだわりがあった。
編集所に住んで、ワンカットワンカット見て、ナレーションの一言一句に注文をつけていた。
これがあったから多分あの番組は成立していた。
それがなくて、ただ無謀なアポなしだのヒッチハイクだの企画してやったところで、そんな基礎工事のない上に奇抜な建物を建てるようなもんで、すぐに崩れてしまっただろうと思うのだ。
そういうことをキチンとわかっている人が今意外と少ないかのかもしれない。
「細部にこだわりましょう」
はスローガンとしてはわかるが、それを教えるのはとても難しい。
徒弟制度みたいなシステムの中で「こんなに親分はこだわるのか?」と驚くことが"学び"だからだ。
僕も師匠と仰いでいる欽ちゃんとテリー伊藤には実はこのことが最大の教えてもらったことだと思っている。
そして、それは一度途絶えると二度と継承されないものになる。
「え?そこまでやらなきゃいけないんですか?」
だって、そこまでこだわっていないものが世の中に出てしまっているのを何度も見ているのに
そんなしんどい非効率的なことをなぜしなきゃいけないんですか?

こうやって「文化」というものが廃れていく。
文化とは「素人がパッとは気がつかないかもしれない、でも長い時間をかけて潜在意識の中に埋め込まれる何か」なのだろう。
それが忘れられた時、そんなものが想像の外になった時に、そのジャンルの「文化」は失われる。

ということでLIFE VIDEOは地道であることを来年も続けて、文化であろうと思うのだ。
それは「たった一人の人に何度も鑑賞される。そして時代を越えて何百年先にも見られるだろう映像作品」であるから、そうやって作ることが必要だからである。