2というほど1を書いた訳ではないのだが「放送と通信の融合」というテーマの中でほとんど触れられていない視点なのだけれど、実は本質的な事ではないかというを書きます。
ネットは技術的にベストエフォート型だと言われていますね。例えば『この回線は理論的には何メガだけれども、実際はわかりませんよ』っていう言い方のあれです。混んでたり途中で細くなったりしているかもしれないから「時には見れない」事があっても"しょうがないな"というのがネットを見る上でユーザーはある程度覚悟しています。(だって自分のパソコンのスペックだったりもする訳ですから)
これがテレビの技術は全く違う。「見れない」事はあってはならない。日本中どこでも見れなくてはいけない。だから最後の何軒かのために中継局を作ったりする。そしてテレビ局側の技術的な問題で「見えない」なんてことが起きたら『放送事故』になって謝罪をする。
ところがネットの場合、それは配信路のどこで起っているかわからないことがあるから「ちょっと見えなくなる」ようなことは仕方ないとされている。
(もちろん日本は電話は間違いなくつながるものという歴史があるから、NTTはそういうDNAがあるかもしれないが、基本的には「どんどん改善されています」が許されていて、最初から完璧は目指せない、目指さないがネットサービスの常識だと思います)
で、この完璧を目指す、というのがコンテンツ作りにも影響があたえていると思うのです。
ネットコンテンツは「誰でもが発信者」な訳だから"完璧"なわけはない。
ところがテレビコンテンツは一応この"完璧"の呪縛がある、と思うのです。
テレビ電波という限られたものを免許で与えられているという、そもそもの成り立ちが理由でもありますが、テレビ番組は完璧、つまり「誰にも文句のつけようがない」ものを目指してしまう、それが可能かどうかの議論はここではしないことにしますが、そう言う呪縛に捕われているものだという事が言えると思うのです。だから文句に弱い。誰も文句を言わない、なんてものがあるかどうかは問題ではない。そこを目指してしまう。だからそれを確信犯的にやり始めた「電波少年」がスコッと虚をつかれたみたいな事になる。

(いやあ、二回目でこの内容はないな。長いな。こんな事を書くつもりではなかったのに...)

とりあえずの〆に向かって急ぎます。
最近ネットサービスの象徴的なのがFacebookだと思います。「とりあえずリリースしてしまえ!そして"穴"はみんなが指摘してくれるだろう」
非常に大ざっぱな言い方かもしれませんが(もちろんいろんなテストはしているでしょうが)逆に"完璧なもの"など、この世にないのだ!と言っているようにも思えます。ネットサービスはいつも"途中経過"なのだ。運動体そのものだ。と言っているように思えます。
それに対して、繰り返しになりますが、テレビは少なくとも今現在の静止地点を見つけようとしているように思えます。
どちらがいいとか悪いとかの話ではありません。
更なる例として、ネットサービスの日本の代表的なものとしてニコニコ動画を考えてみましょう。
まさに"途中経過""運動体そのもの"をコンテンツ化していると言えるのではないでしょうか?
このそれぞれネットとテレビが宿命的に持っている事を認識した上で「放送と通信」を考えないといけないと最近思っているという事です。
でこの「LIFE VIDEO」なのですが、会社の作り方とかコンテンツのあり方は実はネット的な発想で作られています。
だから会社としても事業としても"完璧"の呪縛からは自由になろうとしているという事です。

このサイトも今あるものがなくなったり「アレそっち行くの?」みたいなことを受容していくのだと思っているので、テレビ局のDNAに捕われずにやって行きますよ、という事のためにこんなに長く書いちゃったかなとも思いますが、じつはまだまだ言い足りなかったりするので、またこんなことを書くだろうな、ということで2回目の
LIFE VIDEO LIFE を終わらせていただきます。
(こういう事じゃないんだろう...なんかもっと販売促進的な事書けないのかよ!と思ったりするんですが...ハハ書けませんね...)
途中経過、途中経過ということでお許しください。
インタラクティブって"変化する運動体"のコンテンツ化だよね(って終わらないから終わります)