LIFE VIDEOをこれまで20本近く作って来て、その内の何本かを日本テレビ社内とか業界内とかの人にサンプルとしてお見せすることがある。すると大体言われることが「これ全然テレビでオンエアできるよね?」という言葉である。
そこで僕は正直キョトンとする。
テレビの人(僕もつい最近まで完全にそっち側でしか考えなかったからよくわかるのだが)は、テレビで放送されることが一番上だと思っている。テレビの人間は傲慢であるとかそう言うことではない。とにかくここ数年前まではテレビと家庭用カメラで撮った映像しかなかったのだから、それはそうなのである。(あ、勿論映画は全く別枠ですがね)
ところが「テレビを目的、目標としない映像」はジワジワと増えて来ている。インターネットのニコニコ動画などは「テレビができないから、テレビで取り上げてくれないからやっている」訳ではない。そこでしかできないことをもう当たり前のようにやっている。
それは音楽がメジャーレーベルからデビューできないからインディーズをやっていると思われていた時代とちょっと似ている。
そしてLIFE VIDEOも「テレビで放送しない」からできる方向や表現が沢山入っていて、そこを純粋に追い求めているからクライアントも満足してくれるし、作る方の充実感もテレビとは違うそれがあることがわかって来た。LIFE VIDEOは制作レベルはテレビクオリティであるが、その作る方向がテレビと全く違うのである。
だからこの素材を使ってテレビにすることはできるが、それは1から作り直すことになるのは言うまでもない。
さてそんな風に「テレビでない映像コンテンツ」を作っていると、逆に「テレビ的なるもの」の変化が見えて来たりする。
今日はそんな話を。

フジテレビの"笑っていいとも!"が今年の三月で終了することが去年発表された。
しかし他局の番組のことなのでそんな突っ込んだことも書けないし、それほど長年の熱心な視聴者であった訳でもないので分析ってことも書けない。
だがこの「いいとも終了」の裏に実はテレビの大きな転換点が隠されているのではないかと思ったのでそれを書きます。
まず先日、本番中にサラッと発表された「三月で終わる」について。
この発表の仕方は文句なく『カッコいい!』。
さすがフジテレビと「いいとも!」のスタッフです。
タモリさんの会見とか社長の会見を開いて発表するとか、うっかり考えてしまわないで『これしかない!』ってやり方です。
このやり方をする人たちがやる(かどうかは知らないけれど)『"いいとも"以降』には興味を持っちゃうなあというのが、これを書いているってことにつながります。
でも「いいとも以降」の話をする前に、そのニュースを聞いた時に思ったことを。
率直に思ったことは「テレビ番組ってやっぱり終わるんだな」という当たり前のことです。
テレビ番組とは"時代の鏡である"という言い方があります。
この考え方を僕は支持しています。少なくとも今の時点では。
「時代の鏡」であると言うことは、時代は確実に変わるんですからテレビ番組も変わらなければなりません。つまり番組の中身がゆっくり変わるか?または終わって違う番組になるものなのだ、ということです。
だから「終わらない番組はテレビじゃない」と言ってもいいのかもしれません。
その意味で「笑点」や「徹子の部屋」は今の時点ではテレビ番組ではなくて、終わる日にテレビ番組になるのかもしれません。「何を言っているか?」と言われるかもしれませんが、テレビが時代の鏡なのだと言うことはそうなります。
本来、時代は移り行くものでそれに寄り添ったものがテレビ番組なのだと考えると、必ずその寿命と言うものがあるはずなのです。
短い場合もあるし、そこそこ長い場合もある。それは時代のどの部分とシンクロしているかに依るのだと思います。
32年続いた「笑っていいとも!」と言う番組は"もっともテレビに媚びなかった男、タモリさん"のテレビとの交流の進化を表していたから長く続いたのではないかと思ったりします。
本来はテレビと最も距離のある男がテレビと毎日どう切り結ぶのか、それが「笑っていいとも!」だったのではないか?と思うのです。
そしてそれはこの企画の発案者である故横澤プロデューサーにもタモリさんにも最初から明確に見えていた訳ではなかった、それこそ毎日テレビの生放送を"笑い"という要素を柱に置きながら向き合う、それが日常のようになったけれど、そこにはやはり"テレビそのもの"の特性に影響されざるを得なかった。テレビと"テレビと最も遠い男"のドキュメントだったから、32年間と言う考えられない長さの生命を持ったのではないかと思うのです。
そしてこのまさに「テレビそのもの」であることに気付かせてくれた「いいとも」が終わることが発表された2013年は日本テレビとNHKが開局60年というテレビの還暦を迎えた年なのですが、もう一つテレビにとって大きなことが起きた年だと僕は気が付きました。
それは『フジテレビが民放5局の首位グループからいなくなった年』なのです。
僕が日本テレビに入社した年は昭和54年、1979年ですから35年前になります。
フジテレビは僕が就職試験を受ける年に「制作部門を社内から完全に切り離していた」ので、制作に行けないならテレビ局に入る意味がないと受験対象に入れなかったことを思い出します。
しかしフジテレビはその後故鹿内春雄さんがトップに就任して制作部門をフジテレビ社内に戻して「楽しくなければテレビじゃない!」というスローガンを掲げ突然の快進撃が始まったのが1981年です。
それまでの民放テレビ界は「2強2弱」と言われていました。
その2強の一つ日本テレビ(もう一つはTBS)に入社したつもりが、その2年後に突然フジテレビがメキメキメキと音を立てるように伸びて来て、入社三年目の若手社員には本当に眩しく羨ましく感じたのを憶えています。
そしてこのフジテレビの三冠王という天下は長期に渡ります。12年間。
しかしそのあと民放トップの座は日本テレビに移ります。
1994年から日本テレビがトップに立ちます。(電波少年は92年スタートですから貢献したと言っていいでしょう)
しかしこの日本テレビがトップの10年間もフジテレビは確実に2位をキープしていたということを忘れてはなりません。
そして2004年フジテレビが再びトップに返り咲きます。
2011年まで7年間トップに立ち続けます。
2012年日本テレビが再びトップに立ちます。
そして2013年全日、プライム、ゴールデンの視聴率の三つのタイトルは日本テレビとテレビ朝日で分け合ったのです。
つまり首位争い、首位グループを1位と2位の争いと考えると、実に1981年から2012年の間31年間居続けた民放の首位グループからフジテレビがいなくなった年が去年2013年だと捉えることができるのです。
「31年間」この数字が"いいとも"の32年とほぼ同一だというのは誰もが気が付くでしょう。
つまり「笑っていいとも!」の終了はフジテレビが象徴的にこの30数年表して来た「テレビ的なるもの」の終焉を表しているのだと言うことなのだと思うのです。
テレビ誕生60年と言う一回りした『還暦』という年は、今までみんなが信じて来た「テレビ的なるもの」が終わる年なのではないか?その一つの象徴がいいとも!の終了であり、その具体的な形がフジテレビの首位争い脱落なのではないかと思ったのです。
外的環境の変化と言われるインターネットの登場も、その「テレビ的なるものの変化」を促す一つの要素とさえ思えます。
そう考えると、この4月からフジテレビが「笑っていいとも!」の後番組にどんな番組を始めるのか?が非常に重要な意味を持つと思えて来ます。
(私は手の出しようもない他局の番組のことをなぜこんなに熱く語っているのでしょうか?)
「いいとも」の後番組は「今後の新しい"テレビ的なるもの"」を提示できるのか?それともこれまでの「テレビ的なるもの」の延長線上にしかいないのか?それは劇的に表されるのか?それとも深層に潜んでゆっくりと姿を現すのか?
ひとつだけ「こうであって欲しい」と勝手な外野が願うのは、一回目を見た視聴者、批評家、業界の人たちが「何じゃありゃ?あんなものはダメだ!」と言うようなものであって欲しいと思うのです。
それこそが32年前の「笑っていいとも!」の第一回目だったのではなかったか?と思うからです。

「テレビ的なるもの」が変わっていくべきだということ。いや既に変わっているのにそれを具現化している番組がないのかもしれません。それを一体見つけるのは何処の誰なのか?それは一見遠回りをしているように見えるLIFE VIDEOなのかも知れません。(と最後に無理矢理LIFE VIDEOと結びつけたりもする)