何年も前に、ある尊敬するクリエイターが本を出版した。
本屋さんで見かけてちょっと立ち読みしたのだが、どうも買う気がしなくていつもその人の仕事は注目しているのだが
買わずにすませてしまった。
一ヶ月後たまたまその人に会ったからストレートな言い方だが「あの本って本当に○○さんが書いたんですか?」と聞いた。
おそらく「あまり面白くないと思いました」と言うニュアンスを感じたのだろうし、本人も「この本はあまり面白くない」と思っていたのだろう。
慌てたように「あれはどうしても頼まれちゃって。。『左手の仕事』なんだよ」

『左手の仕事』つまり世の中が過半数以上の人が右利きで(「そんなことない!」とか「左利き差別だ!」と言われても知らない)あるということで『利き腕ではない方の仕事=本気でやっていない仕事』という事になるのではないか?
色んな事を引き受けているとこういう状態に陥る事は想像できる。
「本を書いて欲しい」「講演をしてくれ」「イベントのゲストに来てくれ」
寝不足の時もあるだろうし、気が乗らない時もあるだろうし、準備不足の時もあるのは当然だ。
だからまあ本調子の時の力を発揮せずに終わってしまうこともある。

それをたまたま知っている人に見られてしまった時に
「あれは"左手の仕事"だから」と言いたくなってしまう。

でもきっとその"左手の仕事"から、その人を初めて知る人がいるだろうなあ。
とも傍で見ながら思ったのだ。

ということで、人生の先輩から教えられて(というより横で見て憧れて真似して盗んで、と言った方が近いか)
自分のものにしたいと思っている習慣は数多くあるが
"反面教師"にして心がけているほぼ唯一の事が
『左手の仕事をしない』
なのだ。
もちろん全ての仕事が満足のいく結果が得られることはない。
というより『100点だった!』と思った事は一度もない、が正しい言い方だろう。
でも「左手の仕事だった」とは絶対に思わない、言い訳しない、もちろん事前からそんな心構えで向かわない。
そうしている。

ここまで書いてきて振り返って思った。。。

マジメか!

そんなことを書いてしまう土曜日の朝は。。。ある。

(以下日曜日の夜に追記)

最後になんでこんなことを書きはじめたか?を書かないと「何のこっちゃ?」になるな
ということで
僕はLIFE VIDEOの仕事をどんな時も「左手の仕事」にしようとは思っていないという事です。
昔30%番組を作っていたと言うと、考えようによってはそれは3000万人のために作っていたという事にもなるのですが
そしてLIFE VIDEOは極端に言うと「一人」のために作るとも考えることができます。
それは「3000万分の一」という途方もない数字になる訳ですが
これまでもこれからも決して「左手の仕事」と思ったりしたりはしないことを誓って終わります。