最初のLIFE VIDEOのコピーは
「あなたの人生を高品質のビデオに作る」でした。
数年前から使われ始めた「自分史」というジャンルがあります。
それは「自分の人生を自分で綴る」ということでした。
LIFE VIDEOもその映像版かな、という思いが最初あったのでした。
しかしそれは実際に作り始めてそれだけではないことに気が付いていったのです。
 最初に作らせていただいた58歳の女性は「自分の人生が何だったのか知りたい」とおっしゃっていました。しかし作り上げた時にわかりました。それは自分を生んで育ててくれた亡き母に「ありがとう」と言うためであり、夫に感謝の言葉を伝えたいためであり、子供たち孫たちに自分の生きた人生の姿を知らせるためでした。
 次に作らせていただいた85歳の女性は3年前に亡くなったご主人と一緒に歩んだ人生を「幸せだった」と天国にいる夫に伝えたいのだとおっしゃいました。そして「夫婦仲良く」が人生においてどれだけ大事なことなのかを子供、孫、ひ孫に伝えたいのだと。
 息子さんが無口な父親の人生を知りたいと作らせていただいたこともありました。
 アメリカのポップアーティストの姿が日本できちんと知られていないという長年彼らを支援してきた方からの変則的な発注もいただきました。それを作るには支援してきた人の人生にも踏み込んでいかなくてはなりませんから、それもLIFE VIDEOになりました。
 いま発注をいただき制作に着手しているのはある企業の経営者の三回忌のビデオです。色々な映像や印刷メディアに何度も紹介されたことがある人なのですが、それらにバラバラに残されている父親の人生を一本にまとめて参列して下さる皆さんにお配りしたいと言う目的で作られるものです。そして一番は「父の生きた人生を知りたい」という子供としての"思い"です。

テレビを長らく作ってきた人間には、このLIFE VIDEOがテレビ番組と明らかに違うことがはっきりしています。
それは視聴者という不特定多数に「見てもらう」ためのあの手この手の工夫をするのではなく、このビデオが「誰のために残されるものなのか?」をハッキリ見据えてその「誰」に向かって作っていくからです。

「作る」ことが目的ではなく「残す」ことが意味があるのだと。
だから「作る」と言い出す人は"自分"ではなく「残したい」という人なのだと。
「残したい」と考えることの先には「誰のために」ということがあります。

『誰のために"ある人"の人生を残すのか?』
ここに"自分"が入る場合もありますし、自分の人生に大きな影響を与えた"あの人"のことをあります。
もちろん"親"のことも。

そして 誰のため にも色々な言葉が入ります。
家族、子供、孫、後継者、自分の会社の社員たち。

しかしそれらは視聴者や読者と言う不特定多数ではないのです。
LIFE VIDEOとは「残されること」を受け取る"一人一人の顔が見えた人たち"に向かって作るのだだということを改めて思っています。。